生きるために必要ないこと

どうでもいいこととか、よくないこととか色々独善的に書いてます。その実、作者の不満を爆発させる場所です。

定年後田舎に移住すること

『定年退職したら田舎で暮らしたい』

そんなことを考えている人もいるだろう。

確かに、表面上楽しそうだし、私も一度くらいはそんな生活をして見たいと思わないでもない。

だが、定年といえば、60歳を超えていることになるわけで、体力的に考えても厳しいかもしれない。

家賃とか、物価とかは安そうだし、貯金・退職金(もらえるとは言ってない)・年金(もらえたらいいな)があるし、自給自足すればばなんとか暮らしていけるだろう。

そんな意気込みを持って、いざ田舎へと参らん!

なんて、漠然とした妄想だけじゃ暮らしていけないだろう。完全に無理だなんて、田舎で暮らしたこともない私が言えるはずもないのだが、そんな簡単な話なら、田舎が衰退することなんてなかったはずだ。

 

http://chosa.nifty.com/retirement/chosa_report_A20120807/3/

 

上記サイトによる“定年(60歳以降の生活)”に関することをアンケート調査をみてもわかるように、『田舎に移住したい』が10%ある。

そして、総務統計局によると『一方、65歳以上の高齢者(以下「高齢者」といいます。)人口は、昭和25年以降、一貫して増加し、平成24年に3000万人を超えています。平成29年9月15日現在の推計では3514万人と、前年と比較すると57万人の増加となっています。』(https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1031.htmlより引用)と述べられている。

 

すなわち、どちらとものデータが正しいというのであり、全員が実行しているというのなら、何百万人が田舎に移住していてもおかしくない。日本人口の3%ほどだろうか。

まあ、実際問題、60歳の田舎への流入確認しようとすれば途方も無いデータをまとめなければならないので、私はやりたくはない(切実)。

なので、ここまでの話は事実を確認しようもないし、実はどうでもいい話なのだ。

田舎に移住したいと感じている人が、全員移住するわけじゃないからだ。

では、なぜこんなデータを引用して来たのかというと、データだけでは何もわからないということがいいたかったからだ。

 

日本人は、他人に合わせることが好きな民族だなんて話は聞いたことがあるだろう。

行列があれば並びたくなったり、空気を読んでみたりと、そんな経験があなたにもあるかもしれない。

だからこそあえて言えば、「田舎に暮らしたい!」というのが、みんながやっているからそうしたいというのであれば、やめておいた方がいい。

定年後まで他人に合わせるなんて面白くもなんともないからだ。

同調するのがこの上なく好きだというのならば話は別だが、そんな人は多くないだろう。もちろん私の偏見である。

そんなデータは存在しない(もしかしたらあるかもしれないが、探す気はまるでない)。

 

とにかく、やりたくないことはやる必要もないのだ。

 

とはいっても、本当に定年後、田舎に暮らしたい人はいるはずだ。

勢いで暮らしてしまうことも大事ではあるのだが、まずは下調べから始めなければ後々後悔することになるかもしれない。

例えば、何か事業を始めるときに、勢いに任せて起業するような人はあまりいないだろう。

それと同じで、暮らしたい土地のことも調べるべきだ。

 

移住する場所の支援だとか

https://www.iju-join.jp/feature_cont/file/009/

 

病院の数だとか

http://support.myclinic.ne.jp/search/sp

 

家賃相場

https://www.homes.co.jp/smp/chintai/price/

 

土地の価格やもろもろ

https://www.chikamap.jp/chikamap-sp/TopPage/Index

 

犯罪

https://www.bouhan-nippon.jp/knowledge/hanzai_map.html

 

ハザードマップ

https://disaportal.gsi.go.jp

 

思いつくだけでこれだけあるが、他にもいっぱい調べるておくべきことはあるだろう。

『暮らしやすさ』評価スコア

http://net.jmc.or.jp/digital_data_statistics_kurashiyasusa.html

なんてものもあるらしい。気になる土地のものを買ってみるのもいいだろう。

 

これから骨を埋めるつもりで移住するなら、調べておいても損はないはずだ。

 

 

以上が、田舎で暮らすことについて私が考えたことである。

ただ、「暮らしたい」と思うだけでなく、他人に流されず、自分自身でしっかりと下調べをしてから移住しなければ、後々後悔することになるかもしれない。

だからこそ、色々なサイトを活用できるようにしておくといいだろう。

模倣する社会

 

『模倣するほうが楽かもしれない。でもそんなことをしても世界はよくならない。』

 

スティーブ・ジョブズの言葉だ。

 

 

しかし、世界は模倣。まがい物で溢れているようにも感じられる。

確かに、芸術において模倣するのは必要なことだろうし、模倣なくして、芸術作品を創造するのは不可能と言わざるを得ない。

それと同じように、発想だってそうなのだろう。無から有を生み出すのはとても難しいことだ。

難しいことはやりたくない。

それにリスクも多い。

仮に、ものすごい物を生み出せたとしても、売れない可能性がある上に、そもそも、どれだけ時間をかけても生み出せないかもしれない。

しかし、お金は無限にあるわけでもなく、誰かが援助してくれるかもわからないと来た。

 

だれも利益にならないことには、関わりたくない。

時間の無駄だからだ。

 

新しいことに挑めるのはお金か時間、あと少しの自由があるものだけだ。いや、ほんのすこしの勇気でもいいかもしれない。

だが、ほとんどの者が、そのいずれも持っていないと勝手に自己暗示にかかっている。

 

お金がないから……時間がないから……大人になって夢ばかり見ていらない……

一体、どれほどの人が、自分にそんな枷をつけて人生を終えていくことだろう。

そんな枷を背負った人の誰が、テレビに映る自称発明家をバカに出来るというのだろう。自称発明家の勇気をバカにして、成功した時にはその技術を模倣する。

そんなことに何の意味があるのだろう?

 

世界を変えるイノベーションとは、誰かが発明しなければ生まれない。

Apple社のApple ⅡもiPodiPhoneも全てイノベーションと言えるだろうし、SONYWALKMANだって紛うことなきイノベーションだ。

それらの技術を模倣した会社は一体どれほどあったことだろう。数えきれない程あるだろう。

産業革命だってそうだ。イギリスから生まれた蒸気機関は瞬く間に世界に広がり、その後、電気、原子力と全てが模倣されていく。

 

イノベーションによって世界が変わっていく。

しかし、世界を変えるのはイノベーションだけではない。模倣がなければ世界は変わらないし、誰も革新の凄さがわからないし、技術の値段はいつまでも高いままだ。

凄かろうが、誰も手を出せない技術には何ら意味はない。

だからこそ、模倣も革新もどちらも重要なのだ。

 

かといって、模倣だけしていても、世界は良くならない。

たとえ、イノベーションしようとして、努力が実らなかったとしても、やったという実感は積み重なる。

常に世界を変える意識を持つことが、これからの時代を生き抜く力となるだろう。

 

人生における最良の選択

 

人生は長いようで短くて長い。

人によっては、まるでドラマの主人公であるかのような、波乱万丈な人生を送ることもあるだろう。

 

しかし、全く逆の人だっている。

 

人生なんてつまらないと思いながら、最後の時を迎える人も少なくない。

特に現代の日本においては、マイノリティー(少数派)という言葉が嫌われていて、むしろマイノリティーになる人の足を引っ張る人間が多いようにも感じられる。

 

あくまで、私の感想でしかない。

だけど、どんな人にも、一度くらいは夢を否定されたことがあるだろう。

学校の先生、親、まるで知らない赤の他人から、嫌がらせのように否定の言葉を浴びせられる。

先生や親は子供のことを心配するのが普通だろう。

だが、なぜ赤の他人まで、夢を否定するのか、それは、夢を諦めた人間だからである。

 

夢を見るのは簡単だが、夢を見続けるのは難しい。

夢は優しい。だけど厳しい。

世界は全ての人が夢を叶えられるようには出来ていない。

 

だからといって、自暴自棄になって生きる必要など全くないわけだ。

 

幸い日本には、比較的住みやすい国で、最低辺にまで落ちてもまず死ぬことはない。

もちろん、明日事故にあって死ぬ確率はゼロではないだろう。それでも、死なない確率の方がはるかに高い。

 

それは夢を追い続けようが、諦めようが同じことだ。

なのに、どうしてか夢を叶えるか、諦めるかの二つ以外の選択肢が存在しないかのように考えてしまうのだろう。

選択肢というのは、人間の数だけあり、決して二択なわけではない。

 

初めから二択から選ぼうとしている人は、なぜそうしようと考えたのか、よく思い出してみるといい。

おそらく、だれかにそう言われたのだろう。それ故に固定観念として植えつけられいるのだろう。

本当にそうなのか、あなた以外にはわからないが、そもそも、固定観念というのは長い年月を経て生まれるもの。

打ち破ることは簡単ではないだろう。

 

努力なくしては一生不可能だ。

 

それでも、最良の選択をするためには、選択肢を増やす以外ないだろう。

一番ダメなことは、選ばす先延ばしにすること。そんなことをしては、いつかはつけが回ってくる。

 

先延ばし癖とも言われるように、癖になってしまい。どんな些細なことでも先延ばしにする。

 

難しいから、面倒くさそうだから、だれもやっていながらまた今度と思わずに、小さなことから始めよう。

誰もやっていないことですので、無駄になることもある。だが、難しいことをやったという経験は残るはずだ。

 

経験を増やすことによって、夢を追う自信も生まれるだろう。

夢を追うことによって、未来の選択肢が増えることもあるかもしれない。ないかもしれないが、それでもなにもしないよりはマシだろう。

 

夢を追う、追わない。もしくは小さなことから挑戦する。選択肢は模索すれば無限にある。

その中から人生において最良の選択をすることが、人生を豊かにすることだろう。

マイノリティーになることを恐れることなどない。

 

誰しも個人というマイノリティーなのだから。

 

 

なろう、転生、悪役令嬢から見る社会停滞

皆さんはブログや『小説家になろう』から発展したなろう小説をご存知でしょうか?

なろう小説とは、誰でも好きなジャンルで商用、非商用関係なく、書くことが出来る小説です。

しかし、そんな小説の中で、最もポピュラーとなっているジャンルは、いわゆる『異世界転生』『悪役令嬢』ものでしょう。


異世界転生とは、いま私たちが現在クラス世界、もしくはそれに準ずる世界で、死亡、または違う世界の人間に呼び出されることによって、違う世界の住民へと生まれ変わることを指します。

基本的に異世界転生した人間(主人公)は、チート能力(常人とはかけ離れた力)を持っています。


悪役令嬢ものはとにかく悪役令嬢(いわゆる、ヴィラン)側を主人公とした物語で、そこから自由に物語が進みます。

いや、悪役令嬢である必要ある?

なんて思う人もいるでしょうが、あくまで強い立場で、自由に動くことが出来るというのが魅力でしょう。


流行り始めてかれこれ、四、五年ぐらいでしょうか?

実のところ、私もいつから流行り始めたのか、詳しくはわかりません。

ただ、昔から似たような設定が存在したことは確かでしょう。


特に最近は異世界転生、悪役令嬢の人気は顕著です。

まったく同じものが設定を微妙に変えて、何百、何千と書かれ続け、今もなお人気なジャンルでしょう。


もう飽きたよ。

なんて言う人も多いことでしょう。


しかし、


そんなジャンルが流行ってしまった背景には、現代の日本社会が衰退しているということが考えられるのではないでしょうか?


きちんとしたデータはないのですが、なろうの読者存在は三十代から四十代が多いと言われています。

具体的なデータもないので、全部私の妄想ですが、現代社会の闇が見える気がしてなりません。


――働き盛り世代の現世界離れ。

みんな別の世界で、新しい人生を求めているのかもしれない。


人生に悲観して、現実を見ずに、次の世界を夢見る。

今を変えるなんて考えないのかもしれない。

そうだとするなら、現代社会は停滞しているとも取れるでしょう。

変わらない世界は存在する意味がない、とまではいいません。

ですが、停滞が終わらなければ、いつかは滅びるかもしれない。なろう小説にも言えることですが、変わらなければ、いつか飽きられることでしょう。


これからの社会では、一人一人が停滞を解き、進化を遂げることが求められるでしょう。

そう出来る社会を作っていくのが、今の日本における課題なのかもしれません。


サービス残業を行う会社の無責任さ

皆さんはサービス残業に対してどのように考えますか?


・会社を支えるために必要

・法律違反だからしてはいけない


だいたいの人はこのどちらかの意見をお持ちだと思います。


ですが、その前にまず『サービス残業』とは一体どのような残業を指すのか、それを知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。


サービス残業とは、正当な金銭的対価を受け取らずに行う残業を指します。

正当な金銭的対価とは、残業の場合は、基本的賃金の他に、時間外手当も受け取っていることを指すので、それがない場合は、サービス残業になります。

ですが、基本的にサービス残業といえば、無賃で働くことを表している場合が多いでしょう。


すなわち、サービスで働くということです。


サービス業でも、賃金をもらってサービスするというのに、賃金なしでサービスとは一体どうなってるんだ……と感じずにはいられないでしょう。


まったく、わけがわからないよ。


もちろん、労働に対する対価というのは、必ずしもお金だけではありません。


・労働を行うことによって得られる技術

・働いたという満足感

・自分が必要な人間だと思わせる自己顕示欲


それらを得ることだって出来るはずです。

家に帰ってもすることがない人にとっては、会社にずっといることはいいことだと感じるでしょうし、社会の役に立っていると感じることだって可能です。


だけど、あえていいます。


サービス残業は無責任だと


それは、させる側にもする側にも言えることです。

させる側は残業代を出せばいいじゃないですか?

働き方改革で残業させられる時間がへるから?

関係ありません。なぜなら、長時間労働は生産性を下げるからです。


以下のサイトでも同じよう書かれています。

http://www.fujitsu.com/jp/group/fjm/mikata/column/corp-powerup/021.html


なにより、あなたはただで働きたいですか?


よくこんなセリフを吐く輩がいます。

『ただでも働きたい』


ですが、こんなの言語道断です。仕事をバカにしてるとしか思えない。

つまるところ、


『お前のやっている仕事はタダでも出来る』


なんてバカにしてるのと同じですよ。


『いやいや、技術に価値があるんだよ』


そう思うならば、専門学校に行ってください。

会社は誰でも受け入れてくれる職業訓練所じゃありません。


社員を育てるのは、もちろん会社の役目です。

ですが、タダで技術を欲しいなんて言ってる人を育てるメリットが、ほとんどの会社にはありません。

そもそも、技術を受け継いで欲しい人にはお金を払ってでも、技術を受け継いで貰うでしょう。


と、話が脱線しましたが、タダで働きたい人は自分で会社を作ればいいです。

その方がよっぽど真剣になれるでしょう。


もちろん、私の独断と偏見で適当に書いた言葉なので、事業を立ち上げて失敗しても、私は一切責任を負いません。

そもそも、タダで働きたい人全てが、悪いという話でもありません。


どこの国でも、経験者を求めているわけですから、経験を積みたいという人だっているでしょう。

経験はタダでも得ることが難しい。

お金を払っても実務経験は得られません。一部医療系の学校はべつですが。


またまた脱線してしまいました。


ともかく、今回はサービス残業の話です。サービス残業では実務経験は得られません。

つまり、お金も得られない、経験値(本当の経験は別だが、集中力が切れた状態なのでそれも大してない)ももらえない、疲労はたまり、効率は落ちる。

誰にとってもいことなどありません。


経験値も記録も残らないのに、ひたすらラスボスを倒しまくる作業を繰り返しているのと同じです。


その作業に責任などありますか?

誰か責任を取ってくれますか?


答えはノー、RTA(ゲームのクリアタイムを競うこと)していた方がいくらか生産的です。

サービス残業をして喜ぶのは、勘違いしている上司ぐらいでしょうね。

ですので、サービス残業は無責任です。


といっても、勘違い上司が多い日本で、サービス残業したくないなんて考えても、しなくていいかは別ですが……

自分の状況と比べて、その会社に尽くす意味が見出せないのなら、転職しましょう。

尽くす意味のない会社に尽くすことほど、無意味で無責任なことはありません。

そんな会社は潰れるべきですからね。


サービス残業を自らする人もいますからね。

そんな人を色んな意味で救ってあげましょう。