人生における最良の選択
人生は長いようで短くて長い。
人によっては、まるでドラマの主人公であるかのような、波乱万丈な人生を送ることもあるだろう。
しかし、全く逆の人だっている。
人生なんてつまらないと思いながら、最後の時を迎える人も少なくない。
特に現代の日本においては、マイノリティー(少数派)という言葉が嫌われていて、むしろマイノリティーになる人の足を引っ張る人間が多いようにも感じられる。
あくまで、私の感想でしかない。
だけど、どんな人にも、一度くらいは夢を否定されたことがあるだろう。
学校の先生、親、まるで知らない赤の他人から、嫌がらせのように否定の言葉を浴びせられる。
先生や親は子供のことを心配するのが普通だろう。
だが、なぜ赤の他人まで、夢を否定するのか、それは、夢を諦めた人間だからである。
夢を見るのは簡単だが、夢を見続けるのは難しい。
夢は優しい。だけど厳しい。
世界は全ての人が夢を叶えられるようには出来ていない。
だからといって、自暴自棄になって生きる必要など全くないわけだ。
幸い日本には、比較的住みやすい国で、最低辺にまで落ちてもまず死ぬことはない。
もちろん、明日事故にあって死ぬ確率はゼロではないだろう。それでも、死なない確率の方がはるかに高い。
それは夢を追い続けようが、諦めようが同じことだ。
なのに、どうしてか夢を叶えるか、諦めるかの二つ以外の選択肢が存在しないかのように考えてしまうのだろう。
選択肢というのは、人間の数だけあり、決して二択なわけではない。
初めから二択から選ぼうとしている人は、なぜそうしようと考えたのか、よく思い出してみるといい。
おそらく、だれかにそう言われたのだろう。それ故に固定観念として植えつけられいるのだろう。
本当にそうなのか、あなた以外にはわからないが、そもそも、固定観念というのは長い年月を経て生まれるもの。
打ち破ることは簡単ではないだろう。
努力なくしては一生不可能だ。
それでも、最良の選択をするためには、選択肢を増やす以外ないだろう。
一番ダメなことは、選ばす先延ばしにすること。そんなことをしては、いつかはつけが回ってくる。
先延ばし癖とも言われるように、癖になってしまい。どんな些細なことでも先延ばしにする。
難しいから、面倒くさそうだから、だれもやっていながらまた今度と思わずに、小さなことから始めよう。
誰もやっていないことですので、無駄になることもある。だが、難しいことをやったという経験は残るはずだ。
経験を増やすことによって、夢を追う自信も生まれるだろう。
夢を追うことによって、未来の選択肢が増えることもあるかもしれない。ないかもしれないが、それでもなにもしないよりはマシだろう。
夢を追う、追わない。もしくは小さなことから挑戦する。選択肢は模索すれば無限にある。
その中から人生において最良の選択をすることが、人生を豊かにすることだろう。
マイノリティーになることを恐れることなどない。
誰しも個人というマイノリティーなのだから。